[イラストで描く世界史人物伝] Vol.10 テミストクレス

2020年9月14日

紀元前480年のサラミスの海戦の英雄として有名なギリシアのテミストクレス。英雄と呼ばれた彼は晩年を敵国ペルシアで過ごすこととなり、異国の地で死を迎える。第10回の今回はそんな奇想天外な人生を歩んだテミストクレスを描く。

ペルシア戦争の英雄と呼ばれた男

古代ギリシアが初めて受けた大規模な侵略戦争であるペルシア戦争。数で圧倒するペルシア軍に対して、劣勢を強いられるギリシア連合軍。テルモピュライの戦いではギリシア随一の強国、レオニダス1世率いるスパルタ軍もクセルクセス1世率いるペルシア軍の前に壊滅してしまう。そんな窮地に追い込まれたギリシア連合軍だが、転機が訪れる。テルモピュライの戦いからわずか1カ月、紀元前480年9月、エーゲ海に浮かぶサラミス島で行われた大規模な海戦で、ギリシア連合軍は歴史的勝利を果たすのである。そうサラミスの海戦である。

そして、このサラミスの海戦でギリシア連合軍を率いた男がテミストクレスだ。

数の上で圧倒的劣勢であったギリシア連合軍を勝利に導いたのだから、もちろん彼は英雄と呼ばれ民衆の人気は絶頂となる。この時彼はまだ44歳であった。

もともと彼は小貴族の生まれで、それほど家柄は良くなかったが、とても雄弁な男だったようで、演説で裕福な貴族らを批判することで民衆の支持を徐々に得て、政治家へと昇りつめていった。くしくも紀元前5頃はアテナイの民主制がピークを迎える頃。民衆の支持をとりつける事がとにかく重要な時代で、まさにこの時代の波にのった形だ。

ギリシャ連合軍の司令官という地位も、政争のすえ手に入れた地位で、大変野心家であり、名誉欲の強い男だったようだ。

ただ、もちろん口だけだったわけではなく、なかなか政治的な手腕にも優れており、いち早くアテナイの海洋国家としての整備をとなえ、海軍力の増強を行う。これは後のサラミスの海戦の勝利へと繋がっている。

またサラミスの海戦の勝利自体も、ペルシア軍を情報工作によりサラミス島付近へ呼び込むなど、彼の政治的工作やリーダシップによるところも大きい。

一方で、彼はどちらかというと軍人的な指揮官というよりは、弁の立つ政治家という男だったようで、これは同じペルシア戦争の英雄とされるレオニダス1世が最前線で部下たち共に戦い敗死した事に比べると対局的な指揮官といえる。

狂い始めた彼の人生

しかしここからが彼の人生、いや歴史という物のおもしろい所で、彼は英雄として末永くギリシアで幸せに暮らしました・・・とはならなかったのである。

サラミスの海戦の英雄となり民衆の絶大な支持を得た彼は、加熱していく民衆の支持に応えるためか、アテナイのさらなる軍事強化をとなえるが、これはペルシア戦争で共に戦ったスパルタとの関係を悪化させていくこととなり、民衆の不安を呼ぶ事となる。また、もともと自己顕示欲の強い性格であったが、サラミスの海戦後は輪をかけて尊大に性格になっていき、ついには民衆から「NO!」を突き付けられる時が訪れる。

そう、陶片追放である。

陶片追放とはいわゆる選挙による追放で、陶片を投票券として用いたことから、こう呼ばれる。陶片追放に至った正確な経緯は不明であるが、複数の資料によると、やはり一番は彼の尊大な性格が大きく影響していたようである。

とまぁ経緯はなんにしろ、彼は愛した故郷、アテナイにはいられなくなってしまうのだ。

その後彼はギリシア各地を転々とするのだが、時代が彼を見放したのか、アテナイに対する反乱に加担した嫌疑までかけられてしまい、完全にギリシアに身を置く事ができなくなってしまう。

そんな追い詰められた彼はびっくりな行動にでる。最大の敵国アケメネス朝ペルシアへ亡命を願い出るのである。もちろんペルシアでは彼は賞金首扱いである。

普通であれば賞金首となっている敵国に亡命はしないであろうし、また普通であれば、自ら出頭してきたような賞金首の男を易々とは受け入れはしないであろうが、そこは奇想天外な政治家テミストクレスと、アケメネス朝随一の寛大な王として名高いアルタクセルクセス1世が出会ったったものだから、ここで奇跡がおきる。

アケメネス朝ペルシアのアルタクセルクセス1世は彼を手厚くペルシアに迎えいれるのである。

この時は彼は53歳、サラミスの海戦の勝利から10年もたたずして、すさまじい激動ぶりな人生である。

異国で迎えた最期

こうしてテミストクレス第二の人生がペルシアで始まったわけだが、かつての敵国の指揮官、受け入れたたとしても尋問につぐ尋問や、不自由な幽閉生活が始まったのかと思いきや、アルタクセルクセス1世は彼を大変有能な男だとして手厚く扱い、現在のトルコにあるマグネシアという都市の知事までまかせたのである。

彼のその口のうまさか、アルタクセルクセス1世の寛容さかは不明であるが、なんともすごい運をつかんだようだ。

その後、彼はすっかりペルシアの習慣と言語を学び、ペルシア人として余生を10年ほど過ごし、最後は異国の地で病死したのである。

ただ、こんな奇想天外な人生を送った彼であるが、死後にペルシア戦争の決定的な転機となったサラミスの海戦を勝利に導いた事や、アテナイを強力な海洋軍事国家に育てあげた事が再評価され、現在ではまたすっかりギリシアの英雄とされているのである。

今回はこの様な彼を、雄弁に立ち振る舞い、身振り手振りを交え相手を説き伏せるが、後のその雄弁さのせいで祖国を追われる事になろうとは知る由もない彼の姿をイメージして描いてみた。

川田 ヒデホ

金沢市在住のイラストレーター。仕事のお話や、取材先での出来事、あまり仕事に関係ないけど個人的に気になった出来事、など色々書いています。 お仕事の事やブログの内容などで気になった事があればブログのコメント欄や、スタジオトップのお問い合わせフォームからお気軽にご連絡ください。

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