[イラストで描く世界史人物伝] Vol.4 キュロス2世

2020年8月28日

今回描いてみるのは古代オリエント(現在の中東地域)を初めて統一したアケメネス朝ペルシア(現在のイラン)のキュロス2世。

前回Vol.3で描いたネブカドネザル2世と直接的な交わりはないが、ネブカドネザル2世の治めていた新バビロニア王国を後に征服し、古代オリエントを歴史上初めて統一する事となるのがこのキュロス2世だ。

Vol.03のネブカドネザル2世の名前を有名にしている事の1つが、大勢のユダヤ人をイスラエルからバビロンに強制移住させたバビロン捕囚だとすると、キュロス2世はその逆の行為で旧約聖書に登場する。そうユダヤ人の解放だ。キュロス2世はネブカドネザル2世没後の紀元前539年、新バビロニアを征服。その際バビロンに捕らわれていたユダヤ人をはじめとした諸民族を開放する。この事からキュロス2世は「キュロス大王」「救世主」として聖書に登場すのだ。ネブカドネザル2世やバビロンが旧約聖書で負のイメージの象徴として書かれている事にくらべると実に対称的な人物である。

キュロス2世は歴史上初めて広大な古代オリエントを統一する事となったが、征服先の諸民族の文化を破壊したり、改宗をせまったりするような事はなく、非常に現地の文化に対して寛容であったという。このため反骨精神の強いユダヤ人もアケメネス朝の統治下では一度も反乱を起こさなかったという。

やはり広大な領土、民族を長く渡り秩序持って支配するには「寛容さ」が重要な要素なのであろう。これはローマ帝国しかり、歴史上広大な領土を長くに渡って支配していた国というものは、現地の文化や宗教を尊重していた例が多い。

戦に生き、戦に死ぬ

一方、寛容な事で知られるキュロス2世であるが、古代オリエントを初めて統一するには、やはり並ならぬ武力が必要なのも事実であり、実際に彼はイモータルという名前でも有名なペルシアの不死隊とよばれる一万人にもなる精鋭部隊を持っていた。広大な領土を支配していくには「寛容さ」だけでは当然難しく、あくまでも「強大な武力にもとづく寛容さ」であったのであろう。

歴史上に残る戦としてはかなり遅めの年齢でのデビューで、その登場は40歳代後半ごろから当時アケメネス朝ペルシアが支配を受けていたメディア王国(現在のイラン北西部)への反乱から始まる。紀元前550年にはついにメディア王国を打ち倒しアケメネス朝ペルシアの独立をはたす。

独立はたしたその後は、リディア王国(現在のトルコ)を征服、次にエラム(現在のイラン南西部)、その後は新バビロニア王国(現在のイラク)、さらには東の小国(現在のアフガニスタン等の中央アジア)も次々に征服。一気に領土を拡大していったのであった。

しかしその勢いにもやがて終わりが訪れる。現在のカスピ海東部、トルクメニスタン周辺に勢力を持っていたトミュリスという女性が王をつとめるマッサゲタイ人との戦の最中に戦死してしまう。70歳での最期であった。数々の戦いに参加していたわりには長生きをした人生であろう。その時すでにアケメネス朝ペルシアは歴史上類をみない勢力を古代オリエントに広げ、初めて古代オリエントの統一を果たしていたのである。

このように晩年は戦いに明け暮れていた彼の姿を、戦場で檄を飛ばし指揮をとるイメージで今回は描いてみた。

現在においても50歳をすぎると現役引退のような風潮もある中、40後半からの怒涛の勢いである事に驚く。人生何歳からでも活躍できるという事を歴史が証明している。

川田 ヒデホ

金沢市在住のイラストレーター。仕事のお話や、取材先での出来事、あまり仕事に関係ないけど個人的に気になった出来事、など色々書いています。 お仕事の事やブログの内容などで気になった事があればブログのコメント欄や、スタジオトップのお問い合わせフォームからお気軽にご連絡ください。

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