[イラストで描く世界史人物伝] Vol.12  ピタゴラス

2020年10月3日

第12回の今回は数学のピラゴラスの定理で名前だけはとにかく有名な古代ギリシアの哲学者、ピラゴラスを描く。

万物の探究者、そして謎の教団

ピタゴラスと聞くと、一番に思い出されるのが中学校で学習する数学定理“ピタゴラスの定理”ではないだろうか。このイメージからピラゴラスと聞くとなんとなく数学者をイメージしがちかもしれないが、実はこのピタゴラス、数学は彼を語る上での一部分でしかなく、数学以外の食生活、死生観、医学、芸術、地理、地球、さらには宇宙に至るまでの、あらゆる事象の知的探究を行った万物の探究者と言える哲学者だ。

彼が発見したり、または提唱したもの、あるいは考え出したと言われるものは実は非常に多岐にわたっており、有名な物だけでも以下の様なものがある。

まず皆さんご存知のピタゴラスの定理に代表される“万物は数によって現せられる”とする数学的な思考体系、またこの思考体系に基づく幾何学や建築学、音と和音の関係、人体の構造、地球は球状であるという考えや、惑星の動きといった天文学、地球の気候帯などの地理学などだ。この様に、数学的思考をベースとしつも彼の研究分野は実に幅広い。また、さらには数学をベースとした研究のみにとどまらず、人体は魂の入れ物に過ぎない、とする輪廻転生の概念を取り入れた死生観や、占い、予言、菜食主義など宗教的な提唱や食生活習慣など、彼が研究提唱した分野は信じられなぐらい多岐に渡るのだ。

ただ、やはりこれだけの膨大な分野にまたがる研究や発見であるから、彼一人で成し遂げたという訳では無かった様だ。

実は彼は“ピタゴラス教団”と呼ばれる団体を組織し、彼はこの団体の指導者的立場にあった。これらの研究、発見は、実際のところ教団員の誰かが発見したものや、すでに在った既存の考などを、彼が指導的役割を担いながら、教団として組織的にまとめていった、といったものの様だ。

なおこのピタゴラス教団というのは、当時からしても非常に特殊な団体で、ピタゴラスの教えのもと女性を含む多くの弟子たちが禁欲的な共同生活を行うという“出家システム”の様な機能を持つ団体であった。教団には、外部に教団の秘密を絶対に漏らしてはいけない等の厳しい掟が数多くあり、新規入団者は最低5年間はピタゴラスに会う事すら許されず、また教団の掟を破るものや、秘密を漏らすものは即刻破門となった。ひどい場合には教団により死刑に処された例もあるなど、かなりの秘密主義的な団体だった様だ。

この様に多くの謎に閉ざされた団体ではあったが、ピタゴラス亡き後、弟子等によりその考えは世間に多く広がり、哲学的分野はプラトンやアリストテレスへと受け継がれ、芸術や建築学は後のローマで大きく発展した。また天文学の分野ではコペルニクスやニュートンといった人物にまで影響を与えており、さらには「ベジタリアン」という言葉ができるまで、西洋では「ピタゴラス」という言葉自体が菜食主義者の意味を表していたなど、彼の人類史への影響は実は凄まじいものがある。

自由を求め、自由に殺害された皮肉な人生

彼の人生を少し振り返ってみよう。

ピタゴラスは現在のトルコ沿岸のエーゲ海に浮かぶサモス島に生まれ育った。彼が生誕したのは紀元前570年頃と言われ、同時期には彼の生誕地サモス島南東部に位置する現在のイラク辺りではネブカドネザル2世の新バビロニア王国がちょうど栄華を極めていた頃である。

知的探究心の高かった彼は、小さな島の中だけでは知的欲求を満たす事ができなくなり、成長すると見聞を求め世界各地へ放浪の旅に出た。近場であるギリシア各国をはじめ、エジプトなどの中東諸国、はたまた遠くは現在のイギリスをはじめとした西ヨーロッパや、インドなどの南アジアまで旅をしたという言い伝えまである。

やがて旅を終えた彼はサモス島に戻り教師として働いた様だが、当時のサモス島では専制的な政治が行われており、彼の自由すぎる学問は徐々に受け入れられなくなっていく。そこで学問に“自由”を追い求める彼は、当時はギリシアの植民都市であった現在の南イタリアにあるクロトーネという都市に移住する。ピタゴラス40歳頃の事である。クロトーネでは民主的で自由な気風があり、彼の先進的な考えはクロトーネで広く受け入れらる様になる。弟子や支持者が徐々に増えた彼は、こうしてクロトーネで弟子達との共同体“ピタゴラス教団”を結成するのだった。

しかし結成した教団は、次第に秘密主義的かつ非民主的な性格を持ち始め、ある種のカルト教団的な様相を呈していく。この様変わりしていく教団のあり方は、やがてクロトーネの民主的な気風と合わなくなっていき、ついにはクロトーネ市側から教団内部の民主的な改革を行うよう要請される。しかし教団側はこれを拒絶。その結果、“民主的な”クロトーネ市民の脅威となってしまった教団は、反ピタゴラスをかかげる扇動家に率いられた“民主的な”市民により襲撃さる事となってしまう。この襲撃により教団の建物は焼き討ちにあい、多くの教団員は殺害され、教団は壊滅となてしまうのだ。

ピタゴラス本人もこの焼き討ちで死亡したとも、この襲撃自体は逃れたものの襲撃に悲観して自殺しただとか、または逃亡先で追手によって殺害されただの、死に方については諸説あるものの、彼は紀元前495年、75歳の生涯を閉じるのであった。

彼を受け入れてくれたクロトーネ市民により最後は命を落とすという、なんとも皮肉な人生である。

今回はこの様な彼の姿を、老いてもなお弟子たちに自分の理論を雄弁に説く姿をイメージして描いてみた。

川田 ヒデホ

金沢市在住のイラストレーター。仕事のお話や、取材先での出来事、あまり仕事に関係ないけど個人的に気になった出来事、など色々書いています。 お仕事の事やブログの内容などで気になった事があればブログのコメント欄や、スタジオトップのお問い合わせフォームからお気軽にご連絡ください。

コメント

1 Comment

  1. yosi

    ピタゴラスの定理しか知らなかったので、カルト教団の教祖になりさいごは悲劇的な死を迎えた事など初めて知りました。参考になりました。有難う御座います。


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