[イラストで描く世界史人物伝] Vol.8 レオニダス1世

2020年9月10日

今回は映画「300」の主人公で有名な、Vol.7のクセルクセス1世がテルモピュライの戦いで対峙する事となった強敵、ペルシア戦争におけるギリシアの英雄、スパルタ王レオニダス1世を描く。

ペルシア戦争の英雄、その真の姿

レオニダス1世と言えば、紀元前480年のペルシア戦争テルモピュライの戦いで、わずか300人のスパルタ兵を率いて200万とも言われるペルシア軍と戦い、壮絶な死を遂げた事で有名だ。この戦いはフランク・ミラーが「300」の題名でアメリカンコミックスを描き、その後、同名のタイトルで映画化された事からレオニダス1世はさらに有名になっている。著者ももちろん「300」が大のお気に入りである。

一方、コミックスを原作とした映画「300」では映画ならではの脚色や、演出が盛りだくさんで、史実や時代考証とそぐわない点が多々ある。

今回はその様な映画などを通して広まったレオニダス1世の姿を、少し史実視点の方から紐解いて描いてみてようと思う。なお映画で描かれた姿や、一般的なイメージとして広がっている姿を、史実と違うと指摘して批判をするつもりは毛頭無ない。むしろ史実上の姿を考えてみる事で、よりレオニダス1世の魅力が増すのではないかと思う次第だ。

彼らは裸では戦っていない

まずレオニダス1世やスパルタ兵というと、フルフェイスに近いヘルメットに、丸い縦、剣、そして局所以外は肌があらわになった裸スタイル、こういったイメージではないだろうか。実際グーグル画像検索で「スパルタ」と検索してみると、そのほとんどは上記の様なイメージで描かれている。

レオニダス1世や古代スパルタ兵に関して一番勘違いされている部分だと思われるのが、この裸の戦士というイメージだ。

史実では残念ながら彼らは裸では戦っていなかった。

現代に残る古代の各種資料では彼らは可能な限りの鎧を全身に装着して戦闘に参加していた事がわかっている。

普通に考えれば当然なのであるが、剣や槍を使った戦争に裸体で参加する事は勇敢を通り越して、自殺志願者レベルに達している。可能な限り刃物による受傷を防ぐ防具を全身に身に着けて、生存率を上げる事は命の懸かった戦争では当然であり、古今東西を見渡しても裸で戦争に参加した例は特殊な数例しかない。

5世紀頃に描かれたスパルタ兵
ギリシャ・コルフ島の歴史博物館に展示されている出土した古代ギリシアの鎧

古代ギリシアでは、一般兵はリネン生地を使った鎧が多く使われていたようであるが、リネンは天然素材なので自然崩壊が激しく原型を留めて残っているものはない。一方裕福な兵士が使用していたと思われる青銅の鎧は数多く出土しており、上記のような各種資料からも下級兵士から指揮官まで幅広く鎧を装着していた事がわかる。

なお、何故このような史実とは違う裸の戦士のイメージは広まったかと言うと、決して「300」だけのせいではない。古くはフランスの画家、ジャック=ルイ・ダヴィッドが1814年に描いたレオニダス1世とスパルタ兵の絵からしてすでに裸体であったり、1955年に、戦いのあったテルモピュライの地に設置されたレオニダス1世の銅像も裸である。

ではこういった裸で戦うスパルタ兵のイメージがどこから来たかというと、おそらく古代ギリシアで賛美されていた肉体信仰や、古代オリンピックのイメージから来ているのではないかと思われる。

古代ギリシアでは鍛え上げらえた肉体こそ至高のもので、神に捧げるべきものとされ、ギリシアの神々にささげるオリンピック競技は完全な裸体で競技が行われたいた事がわかっている。(競技者だけではなく観客すら全裸であったそうだ)

また後のルネサンスに大きな影響を与えることになるギリシアの彫刻像も、神に捧げるための物として、本来なら服や鎧を付けていたでろう場面であっても、意図的に裸の像としてつくられた。このような様々な要因から、古代ギリシアでは戦争すら裸でしていたという史実とは違うイメージが広まったのではないかと考えられる。

300人という数字

またコミックや映画の題名にもなっている「300人」という数字、これはペルシア軍200万に対するスパルタ軍の数として有名な数であるが、実際にはテルモピュライの戦いではスパルタ軍300人の他に、700人のテスピアイ軍もいた。彼らはレオニダスに退却するよう諭されてたが、スパルタと同じく、自分達は退却よりも死を選ぶと言い、テルモピュライの戦いでスパルタと共に散っていった。また現場には日和見的なテーベ軍400人もおり、戦闘の始めのうちはギリシア連合軍側について戦っていた。(のちにギリシア側に勝ち目がないと悟るとペルシア軍に投降)

この様にスパルタ以外にもテルモピュライの戦いに参加していたギリシアの国が他にもあるのであるが、往々にして忘れられがちである。

また、ギリシアの歴史家ヘロドトスの資料がもとになっているペルシア軍200万という数字だが、やはり現在では少し誇張されすぎた数字と考えられている。当時の水準や状況から考えて、これほど膨大な数の遠征軍は維持出来なかったであろうと考えられ、実際には5万から、多くても100万程度であったであろうと考えられている。

ただ上記のような数の違いを考慮したとしても、ギリシア連合軍1400人対ペルシア軍5万人と圧倒的な戦力差であった事に間違いはなく、そのような不利な状況でも今後のギリシア側の戦局を考慮し、一歩も退かず最期の一人まで戦ったスパルタ軍とその指揮官レオニダス1世は、後世に英雄として語り継がれるに値のする人物であったのであろう。

なお、同じように戦い死んでいったテスピアイ軍も、もう少し厚めに扱ってもらえば、少しは浮かばれるであろう。

今回は、この様なレオニダス1世を、四方を囲まれるも一歩も退かずまわりに檄を飛ばす最期の姿のイメージで描いてみた。

川田 ヒデホ

金沢市在住のイラストレーター。仕事のお話や、取材先での出来事、あまり仕事に関係ないけど個人的に気になった出来事、など色々書いています。 お仕事の事やブログの内容などで気になった事があればブログのコメント欄や、スタジオトップのお問い合わせフォームからお気軽にご連絡ください。

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